2011年06月09日

本来の姓とは?

姓(せい、本姓ともいう)は、本来の姓のことで、明治前には名字と見分けされていました。
足利尊氏も、本姓でいうときは「源尊氏(みなもとのたかうじ)」となります。普通はこんな言い方はしませんけどね。
これはどういうことかというと、「源」は本姓で「足利」や「徳川」は名字ということです。
まぎらわしいのは、「姓(かばね)」の存在です。
また、鎌倉幕府の執権であり頼朝の妻、政子の実家である北条氏の本姓は「平」で、桓武平氏(桓武天皇の子孫、平の姓を賜った)です。
例えば、室町幕府を開いた足利尊氏は、本姓は「源」であり、清和源氏(清和天皇の子孫、源の姓を賜った)なんですね。
つまり、「の」が入るときは本姓で、「の」が入らないときは名字ということです。
彼らの本当の姓はそれぞれ「源」、「平」なんです。
氏(うぢ)は、血縁集団、つまり一族のことで、同じ姓を名乗るのが普通です。
源氏は祖となる天皇が21人いて、かなり多くの氏族がいました。
そして、義助は兄の義貞が相続した新田家から独立し、新田荘内の脇屋郷を分割相続して住んだことから、脇屋を自分の名字として、脇屋義助と名のったのですね。
では足利とか徳川とか北条とか織田などはどういうことかというと、これが名字なんですね。
姓(せい)と姓(かばね)は別のもので、見分けされています。
他にも、源頼朝はもちろん源氏ですし、徳川家康も藤原氏を名乗っていましたが、その後源氏を名乗ります。武田信玄や板垣退助も源氏です。
最高位の「真人」は天皇の子孫に与えられるもので、実質、臣下の最高位は「朝臣」ということになりますが、平安朝以降はいろんな事情から多くの氏が朝臣を名乗ることになったようです。
しかし、本姓はどちらも「源」であり、源義貞、源義助が正式な本名となります。
血縁集団であった古代の「氏(うぢ)」は地名から取ったものや、朝廷の職に由来するものなどがあります。
これは、その一族の「格」のようなもので、一定のかばね以上でなければ高級官僚になれないなどの規定がありました。
ちなみに、上杉謙信は、はじめ長尾景虎という名前でしたが、この長尾氏は平氏、上杉氏は藤原氏です。
公(きみ)、臣(おみ)、連(むらじ)、造(みやつこ)、直(あたい)、首(おびと)などがあって、後に「八色の姓(やくさのかばね)」が制定されて、真人(まひと)、朝臣(あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、 臣(おみ)、 連(むらじ)、 稲置(いなぎ)という階級ができました。
豊臣秀吉の「豊臣」も、天皇から賜りました。
天皇から賜った「姓(せい)」もあり、氏=姓(本姓)となっていたようです。
例えば、鎌倉幕府と戦った新田義貞の弟は脇屋義助といい、兄弟で名字が違うわけですが、これはどういうことかというと、新田氏の先祖が新田荘という荘園を開墾し、荘名を名字にしたわけです。
それぞれ宗家と分家があったり、土着して武士になったりして、家単位で見分けするための名字を名乗ったわけです。
有名な「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」というのは、それぞれ源氏、平氏、藤原氏、橘氏という天皇から賜った姓です。
「かばね」は、古代のヤマト帝王権で大帝王(おおきみ、古代の天皇のこと)から与えられた称号のようなものです。
他には、平清盛や平将門などの平家の一族や、織田信長も平氏を名乗っていましたし、豊臣秀吉も一時、平氏を名乗っていました。
ちなみに、源頼朝は「みなもとのよりとも」と姓と名の間に「の」をつけて読みますね。でも、足利尊氏は「あしかがたかうじ」、徳川家康は「とくがわいえやす」と、「の」は入りません。


Posted by Lay at 16:29│Comments(0)
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